おもちゃばこ

旅行とか、映画とか、好きなものを自己満足程度ですがシェアできたらいいなと思っています!

🐨初留学の収穫語ります。行ってよかった感想編

詳細は別の記事に書いていますが、ここでは高校時代に経験した人生初の留学で気づいたことや学んだことなど、収穫を書いています。

 

今後留学を考える方や、お子さんに留学を検討されている方のは参考にしていただければ嬉しいです✈︎

 

高校生、人生初留学で気づいた自分の弱さ、ちっぽけさ

 

自称無敵の高校生からたった3日でどん底

高校生で行ったことにすごく意味があったと思います。

高校生って、ちょうど親の手を離れかけて自立してくる年頃だし、知的レベルも大人に劣らなくなっている頃。世界が見えてきて、だんだんいろんなことがわかるようになって、そうしたら一気に今度は世の中を舐め始めるようなある意味無敵の年代。

 

私自身、勉強もスポーツも苦手な方じゃなかった(塾と部活のおかげですが)こともあり学校生活を甘っちょろく感じ、先生方をなめているところがありました。

思い出すだけで恥ずかしいくらいに、自分は何でもできるんじゃないかと勘違いしていた傲慢な生き物でした。

それが一転、ぎゃふんと言わされたのがこの短期留学、特に最初の2.3日だったのです。

 

何度も襲ってくる謎の体調不良

始まりは初日の空港から。

好奇心旺盛で自称無敵だった私は留学さえ怖くなく、自分から望み、ワクワクしていました。それなのに空港に着いたら突然緊張しはじめ、吐き気がするほどでした。さっぱりしたものを、と蕎麦屋さんに入ったのに二口しか食べられず。

いよいよ集合場所へ行き、見送りの家族に手を振る時には、急に家族と別れるのが怖くなり、溢れそうな涙を抑えるのに全神経を使っていたのを今も覚えています。

こんなはずじゃないのに!たった2週間離れるくらい何も怖くないのに!あの時、溢れかけた涙を何とかこぼさずに済んだのは、「私はこの中で2番目に年長なんだぞ!」という負けん気のためでした。中学生だって泣いてないのにどうしちゃったの私。

 

なんとか泣き顔を晒さずにやりすごし、皆でわいわいお喋りしながら飛行機に乗り込み、寂しさも紛れて来たところで、新たな問題が発生しました。

天候が悪く、飛行機が嫌と言うほど揺れたのです。普段乗り物酔いなどしないのに、離陸から着陸まで酔いっぱなしでした。後から考えれば極度の緊張のせいだったのでしょうが、当初はそれもわからず、もう帰りたい、二度と留学なんていかない、なんて既に半泣きで心に誓っていました。まさか留学が始まる前にこんな強敵がいたとは…

 

そんなこんなでいよいよ到着!南半球、夏のオーストラリアです。着陸の揺れにもやられていたので、冷たい風にでもあたりたいな♪なーんて考えていたところに真夏の熱風が吹いてきたものだから、😫ってなったけれど、でもやはり3月にやってきた突然の夏と青空を見たら、どんなに気持ち悪くてもテンションはあがります!よし、辛かった飛行機も終わったし、ここからはきっと大丈夫…ついに憧れの留学の始まりだ!

 

しかしその心意気も束の間。今度は陸酔いしてしまったのです。

乗り物には弱くないのに、昨日から一体どうしてしまったんでしょう?陸酔いなんて言葉この時初めて知ったくらい。陸でじっとしているのに、まるで船に乗っているみたいにゆらゆら揺れて感じるのです。

せっかく海辺の素敵なレストランに来たのですが、まだ飛行機の気持ち悪さは残ってるし、それでも食べようとお皿に向き合えばゆらゆら揺れ始めるし、すぐにギブアップしてしまいました。うーん幸先悪い。

 

その後はホストファミリーと対面。スパゲッティが嫌いな人はいないからね、とミートソースを出してくださったのですが、やはり吐き気が続いていてあまり食べられませんでした。もう初日から絶対印象悪いだろうなあ。

 

せっかく何年も楽しみにしていた留学がこんな予想外のトラブルに阻まれてばかりでスタートを切るなんて、思ってもみなかった。

元気が取り柄の私なんだから、本当は夏のオーストラリアで元気いっぱいはしゃいで、みんなに笑顔をばらまいて、ファミリーとたくさん英語で会話して、友達もいっぱい作りたかったのに…

 

それなのに、初めての単身海外は突然の体調不良と共に幕開け。良い薬もない。親もいない。どうしていいかわからない…。

お風呂でだけは泣こうと思ったけれど、3分だけのシャワーはあまりに一瞬で(水不足のオーストラリアは州でシャワーの制限時間が決められています)、ベッドに入ってまた泣きました。

とにかく一回寝て全てをリセットしたい。寝て起きれば一日続いた酷い乗り物酔いも治ることでしょう。今日は本調子じゃなかったけど、明日こそ学校も始まるし、気持ちを入れ替えて頑張ろう!泣きながらそう誓って眠りました。

 

そして翌朝、ようやくあの恐怖の乗り物酔いが治り、すっきりさわやかな朝でした。ようやく口にできたヨーグルトが体に染み渡りました。

ああ治った、これでようやく留学のはじまりだ、今度こそがんばろう!

…と思った矢先に再び体調不良🤢

学校がスタートしたのですが、真夏だというのに教室にはクーラーなし。さらに、学校が平屋でウォータークーラーは全部屋外。タンクが直射日光を浴びていたせいか、出てくる水は熱湯でとても飲めないのです。

学校が終わって帰宅する頃には頭痛と吐き気が強く、夕飯は全く食べられませんでした。

 

静かに自分自身を見つめて

どうして日本を離れてからずっとこうなんだろう。体調さえ良ければちゃんと頑張りたいのに。

自分の体に何が起こっているのか、なんの病気なのか、どうしたら治るのかわからなくて不安でした。昨日は機内食から合わせてまるまる三食食べていません。そして今日の夕飯も。死んでしまうんじゃないか。どうしたらいいの、といよいよ不安で心細くなって、両親にメールしました。

そしたら「きっと熱中症だから水分を取りなさい」と。少し安心した反面、自分の弱さをことごとく突きつけられました。

日本ではいつも自慢の健康体で、1人でなんでもできるような気になっていた。

だけど実際は、冷えたお茶の入った水筒と栄養満点のお弁当を持たされ、学校では冷暖房の効いた適温の教室で学び、キンキンに冷えたウォータークーラーの無尽蔵の水を好きな時に飲み、ちょっとした怪我や病気には必要な手当てを施し病院に行くべきか判断してくれる親がいて、家庭と学校という完璧に環境づくりをされた温室の中で、それはそれは大切に育てられていたんだなと、実感しました。

この完璧な環境が少しでも崩れた途端、私の人生は、生活はおろかその最低限の前提である健康すら保てなくなる。

私はそんなにも脆く、やわで、「大人」たちの助けなしでは生きていけない存在…

そんなことを思いました。

 

それでも負けない

体調不良って、どんな強い気持ちも打ち負かして心を弱くしてしまうからとても辛い。

どうしてこんなことになっているんだろう。

この留学が始まってまだ2日だけれど、既に何度も辛いことがあった。でも何度打ちのめされてもその度に気持ちを切り替えて、いやまだここからもう一度頑張ろうって思ってきたのに、その気力もいよいよ打ち負かされそうです。

辛い…帰りたい…。

持ち前のsuper positiveさはどこへやら。

 

何度立ち上がっても凹まされたけど、ようやく、本当にようやく、次の日から水筒を持たせてもらうことで熱中症を回避し、無事に自慢の健康体へと私は戻りました。

体調さえ良くなればあとは予定通り、頑張って話しかけておしゃべりして…いよいよ留学生活の始まりです。

 

変わるのは自分しかない

最初の2、3日はやはり何よりも体調不良が辛くて辛くてハイライトだったけど、別の記事で書きますが、他にも生活の違いにびっくりしたことはたくさんでした。まさにカルチャーショック。

ファミリーは優しいし友達も良かったけれど、でも正直どこか辛かった。

何がって、人生で初めて、ホテルのお客さんとしてではなく、現地での日常の生活を送る者として海外に来たのです。初めて会った人の家で家族の一員として生活して、毎日朝から晩まで英語で喋り、初めての学校で英語で授業を受けて…

どうしても疲れるし、事あるごとに辛くて寂しくて、帰りたいと思ってしまった。

帰国をカウントダウンしようにも、まだあと2週間あるなんておかしくなりそうでした。帰国できるためなら緊急事態すら起きないかななんて恐ろしいことを考えたりもしていた最初の数日間。

 

しかし、結局は3日くらい経ったところで「いちいち日本と比べるから辛いんだ、全てを忘れてこの地に馴染もう!」と決心したところから、急に生活はスムーズになったのです。

ここでの生活が辛くても環境は変えられない。変わるなら、自分が考え方や向き合い方を変えるほかないと気づき、意識的に自分の物事の捉え方を変えていこうと試みました。

びっくりすることはもちろん変わらず続いたけれど、それでも思考を変えたおかげかそれ以来、いろんなことが良い意味で気にならなくなり、本当に驚くほどひたすら楽しい2週間だった。

文化の違いをようやく受け入れられる、かっこよく言えば本当の意味で多様性を理解できるようになったんだなと思います。そんな変化が 自分の中であった。

 

辛い時こそ成長のチャンス

うっかり楽しい記憶に上塗りされてしまいそうだったけれど、決して忘れてはならないのがやはりこの最初の3日間。

ここで色んなことに気づき、間違いなくこの人生で一番成長したと思う。

体調は悪いし、日本の家や学校での生活とはあまりにもかけ離れていすぎて、その些細な違い一つひとつが受け入れ難くて、もうとにかく辛いことの全てが詰まっていた3日。

 

でも、おかげで初めて本当の意味でフラットな視点で自分と向き合えたと思う。

ひとりぼっちで、辛いことがたくさんあって、だからこそ、この辛さの根源はどこにあるんだろう、どうしたら解決できるんだろうと考えることができた。

そして自分の弱さや課題をみつけ、克服するという自分の努力によって、自分の生きる世界や環境を楽しいものにかえることができた、ということに自信もついた。

 

あの辛い経験がなかったら自分のちっぽけさには気づけなかったし、こうやって自己変革を試みることもなかった。

まさに井の中の蛙だった傲慢な女子高生。この井戸は、蛙が生きやすいように大人たちが一生懸命環境を整えて管理してくれていたのだというのに。

 

わたし一人では何もできない。本当に。文字通り、ただ生きていくことすら、できない。

ちっぽけで、非力で、はっとするほど脆い。

 

もう時効だから言ってしまえば、正直、絵に描いたように順調な学校生活を送れていた自分に自信があったワタシ😅

だけどいざ慣れ親しんだ世界から一歩踏み出せば、私はまるで赤ちゃんのように何もできない。何一つできない。あの自信は木っ端微塵に砕け散り、天狗のように伸びた鼻はへし折られた。

陰で見守ってくれてきた「大人」のいない地で、わたしは自分自身の命一つすら、守れないかもしれなかった。

なぜなら私はまだまだ子どもにすぎず、見知った環境を離れれば、何も知らない、何もわからない全くただのbabyに他ならなかったから。

 

そう思うと、あの空港から始まったド緊張も、それによるエンドレスかと思われた乗り物酔いも、きっと弱っていたせいで簡単に罹ってしまった熱中症も、どれも全部気持ち悪くて辛すぎたけど、すごくものすごく意味があったんだなって思います。

 

いやむしろ感謝しなければならない。こうでなければ私は何にも気付けなかったから。

 

 

海外学生の驚くべき積極性

外国人学生は積極的というのはよく言われることですが、本当だ、と感じました。

授業中、先生が「これの答えわかる人?」とか「これやってみてくれる人?」なんて聞けば、生徒たちがちゃんと挙手するのです。

同年代なのに、まるで小学生を見ているような素直なかわいらしささえ感じてしまいました。

 

一番感動したのは、校長先生によるホームルームのような授業。教室に椅子を丸く並べて、校長先生と生徒たちが円になって座ります。校長先生が質問すると、ほとんどの生徒が挙手し、先生が投げたボールを受け取った子が意見を言って良いのですが、まあ率直な意見があがること。

質問も「学校で一番好きな先生は誰ですか?それはなぜ?」というような、学校をいかに良くしていくか校長先生に直接生徒の意見を聞かせてほしい、というようなものでした。

 

日本人も、小学生頃までは、知ってることは言いたい!とばかりに授業中はみんな挙手していました。

いつのまにその文化は廃れたのでしょう。

中学に上がる頃くらいから、それは「ダサいこと」となり、いつのまにか学年が上がるにつれて、先生方も挙手を求めないようになってきました。

 

意見の言えない日本人。

よく言えば慎ましいけれど、世界という場に出たらそれが如何に不利かは考えるまでもありません。

 

 

自国愛と誇り

意外なことですが、留学を終えてかわったこととして、自国愛が芽生えた、ということがあるのです。

 

実は留学に行きたいとずっと思っていた理由の一つに、日本をあまり好きでなかったということもあります。

決定的な理由があったわけではありません。歴史やなんかで幼少期からなんとなく刷り込まれていた「欧米=強い国、アジアの日本=弱い国」というような漠然としたイメージによるものでしょうか。

将来は、だから日本を出て欧米で暮らしたいな、という思いがあり、留学はそのための第一歩のつもりでした。

 

でも、日本で生まれ育ち日本の生活しか知らなかった私にとって「日本での生活」とは、まるで空気のように、今回失ってはじめてわかるありがたいもの、なくては生きていけない環境だったのです。

 

日本がいかに清潔で美しい環境を持つ国なのか、日本人がなんと誠実で繊細で丁寧な心を持っているか、離れて初めてわかったのです。

 

それは、最初の3日に投げやりな気持ちで帰りたいと思ったのとはまた違う気持ちでした。

2週間を終えて、オーストラリアでの生活にも慣れてきて、辛いと思うこともなくなってきました。オーストラリアの良いところもたくさん見られて感じて。

その上で日本のその素晴らしさに気づき、心の底から、この美しい国に生まれてこれたこと、そしてこれまでもこれからもこの国で生きていられることを幸せに思いました。

 

私は日本人です。日本から来ました。

と、あれ以来海外で聞かれるたびに、胸を張って答えています。

 

…思い出すと懐かしくて、なかなかの良い年だったのに海外に出た自分があまりにも笑ってしまうほどに幼くて危うくて。

ついつい長文駄文になってしまいましたが、これが私の初留学、人生で初めて一人になった2週間の記録です。

人生でいくら海外経験を重ねても、「初めての留学」はあの一度きり。

多感な時期に自分の意志で行き、本当に日本にいてはわからなかったことを学び、知り、感じ、かけがえのない経験ができました。

 

心配しながらも行かせてくれた両親に感謝です。